昭和49年9月26日 合楽示現活動一泊研修会親先生御講話(第二日目)①



 あの、今日は私は本当にね、いつも、こういう研修会と言うと、あの、何か私の話を先に聞いて下さるていうのが普通でしょう。そして、それから、色々ね、あの、質疑応答なんかに入って行くんですけれども。はじめに皆さんのご紹介を頂いて、そして、それぞれの、やはり問題を提起なさって。もう、本当に私は良かったなと思うんです。これが、もしあの、これが私が先に言っとったらね、もう私の話する事がとんちんかんな事になるのであったと思うんです。なるほど、それぞれが、その持っておられる、(立ち触っておられる?)その問題というものが、先ずやはり解決というか、その糸口を生み出さなければね、という思いでございました。で、私があの、もう(恐れずに?)その問題があると、もう何もないですけれども。本当を言うたら、その問題があってはならない。もう、問題を問題にするから、いよいよ問題が大きくなって来るのであってね、もうその問題は、さっきの、私が朝の御理解の中じゃないけれどもね。その問題、その問題こそが、あの、神様が私に下さっておるものだから、そのおかげでするのですから、(    )そこで無くならなきゃいけないというところまでね。為には、やはり私があの、神様を本当に、まあ、信じて疑わないという、しかし、間違いなさというかね。あの、を、あの、把握される事を先になさらなきゃいけない。本当にここに生きた神を見、生きた神の声を聞かせてもらうという、もう、これこそ神の声であろうかと思うようなものが皆さんの周辺に何かおぼろになってるっていう感じがするんですよ。私、今朝あの、今日の会合の事をお届け神様にさせてもらいよりましたらね、あの病み上がりのような感じの方が、そのぶしょうヒゲを、もうこんなに生えて。そして、この、頭がやっぱ久保山先生あたりのと綺麗にしちゃるんだけどね。その、ぶしょうヒゲが、ただヒゲを生えるまま生やしておるというじゃなくてね、やはりぶしょうヒゲという感じなんです。それから、私は思うたことは、今のお道の先生方の言うならば、私も含めてですけれども、ほとんどがね、ほとんどが、あの、いわゆる(ぶしょうヒゲ?)が多いという感じがしますね。ね。いわゆるその、コリを伸ばしてね、髪を伸ばして結い上げてというところが、神の願いなんです。また、私どももその願いの中に行かんと。ところが、頭をさっぱりするという事ばかりを、あの、心掛けておられて。そして、その実際の、例えば信心の修行とか、活動という事には、あの、いわゆる、ぶしょうであるという事なんです。ね、だから、問題は、下の方はきれいに剃っておいてね、そして、上の方は伸ばして。そして、それを綺麗にときあげ、ふきあげ、そして、これを、まあ、様々な形に結い上げる。信心を一つ結い上げて行くというね、それが出けてないという事を感じたんです。三代様のお言葉の、私は一番好きなお言葉は、神信心いんは辛抱する事が一番大切でございますと仰る。ですからね、あの、今、安武先生がお話になっとったように、自分が神様に向かうとおるとです、自分が信心辛抱が出けておる時には、それこそ地の果てにまででもというようなものが湧いて来るのにもかかわらず、ちょっとその辛抱が疎かになって来ると、ね、そういう事になる、あの、神様が何か(   )こられるという。だから、これだけは泣く泣くでも、やはりあの、辛抱しなければならない、辛抱させて頂く事にです、そん時は苦しいけれども、その辛抱し抜かせて頂くと、後が嬉しい、後が有り難いという、私は体験をもっと豊富に皆さん持って行かれなければ駄目だと。上野先生がさっき、もう二時間の奉仕の時間が一番楽しいという、私はお道の教師は御結界に奉仕をする事が一番楽しい、一番嬉しいというね、いうようなところまでは心を開かなければ駄目だと思うね。ひろう先生があの、豊な心、そしてそれを一筋にという親先生の御教えを心にいつも掛けながら、その一筋でないという自分を言っておられましたけれども。私は一筋だと思いますね、ひろこ先生の場合。そしたら、合楽になら、なら合楽にでも来るということは、一筋のものを求めておられての、それが(徳なんですよやはり?)。ね、ですから、あの、やはり、もう、それこそ、心は(きりにくらいとかなきゃ)いけないと思う、やっぱり。そして、そこにね、より本当な事というものがあるならばです、もうそれにすぐ、こう、あの、自分の心が変わって行けれるね、根本的なものをちゃんと打っといて。はあ、より本当な事に、その、言うならば、その追求心というか、求道心というかね。そういう、言うならば素直さがね、いるんだと思います。ひろこ先生がここに初めて、二週間でしたかね、ぐらい、あの、修行になられて。そして、私は、ほお、この先生はあの、素晴らしいその、ものを持っておられるなと思った事は、ちょうどあの、御祈念が終わって、もう電気が暗くなって、済んでおるところに見えたんですね。そして、その翌日聞かせて頂いたんですけれども。お酒(も持ってでしたけども)小さい電機がそこそこ点いておるぐらいで、あの長いローカのところを、こう横目で見ながら御広前へ入った時に、もう何とも言い知れん感動が湧いてしょうがなかったという事を聞きました。私は、この感動がね、皆さんには乏しい。皆さんじゃない、今のあのお道の信心者には、この感動が乏しいと思うんですよ。それが、無理な、その頭で行こうとするから。頭だけはさっぱりしとる。この神様はね、例えば分かろうとして、分かれる神様じゃないです。ね。それは、また私達の人知で分かるような神様は大した事ないです。もう、どれだけ求めても、どれだけ分かっても分からぬ、(だから大きく?)なって来るんです。ね。ですから、なら、だから、なら放っとってというとじゃなくて、一歩でも近づかせて頂こうというね、とにかくお道の教師でもならせて頂こう、またそういう宿命を買おうとしておられるのだから、やはり、あの、本当に人が助かる事のための、言うなら教祖様が仰る、人が助かる事さえ出来ればと仰る、あの心のところに一心を置いて行かなきゃならんがです。なら、人を助ける為にはどげな修行をしたら良いんだろうかでは、人は助からんと思うね。問題はです、やはり自分自身が助かる事だと。ね。自分自身が本気で助かる事を、私は求めて行ってこそです、もう自分の助かり具合というか、助かる過程がです、神様も感動される、または、取次を願う者も感動するんです。自分が助かる事のために一生懸命に精進しておられる姿というものは実に尊いです。ね。人を助けるという事より、先ず自分自身が助かる。ね。その、ひろこ先生が合楽に見えました、その翌日だったでしょうか。初めて、これが御心眼と言うのであろうかというものを頂いた。ここに、御広前いっぱいに、横文字で「平和な心」でしたかね。私は、今でもその話を皆にするんですけれどもね。素晴らしい事だと。それを、こういう風に頂かれます。(注意:黒板に書かれる。離れたところで話しておられる為、あまり聞こえない)こういう、ちょうど風に頂かれた。ね。あの、平というのはね、一・八・十と、サイコロがついておるという感じがする。ね。この平という一・八・十。これは、一という事は始まりです。十という事は、まあ、ひとつの成就という意味ですね。八という事は、もう広がりに広がって行ってという。それから、和というのがね、素晴らしいです。金光教でいう和賀心の和というのは、先日も頂いたように、鉄筋が入っておるような和だ。ね。鉄筋が入っておる。もう、とても金具で叩いたような事じゃ絶対崩れないというのが、あの、普通でね、和という状態を尊ぶには、ね、柔らかな心じゃなくて、叩かれても壊れないという事だという事。まあ、そういう風に頂かれた。この(      )大きく示すとタイトルがついてる。大きく示すという事がね。これは、大きく示す(       )。ね。心というのは、広がりに広がるという八の字を、こんな風に心という風に読ませるような感じだったと、(         )。ね、私はそれを頂かせてもろうてね、結局、ここでの御信心をね、とにかく一から、八から十になって行く事で、この和の心、いわゆる和賀心を本気で求めて見る事。これを追求する以外にないんだと。そして、その頂いたものをね、それこそ全世界に広めて行こう、大きく示して行こうという。私がおかげ頂いておる姿、私が助かっておる状態をね、私が、もう本当に極楽だと(いつも皆に?)言ってますようにです。ね、本当にだから、もうそれこそ、食べる事にも不自由しない、住まう事にも不自由しない。健康にもおかげを頂いておる。(    )もう極楽ですよ。ところが、その極楽の実感がないからです、その、こういう心の状態に皆さんもなられたらどんなに素晴らしい事だろうかというね、ものがないところが、まだ、それがほんなもんじゃない証拠です。もう、どんなに考えても御神縁を頂いておる事と、お道の教師に劣りたて頂いておること。もう、その事が有り難うして有り難うして、極楽の真中にあるのですから、実際に。ですから、この極楽をです、言うならば、ね、この極楽ひとつ皆にも分け与えて行こうというところに、私はこの精神があると思うんです。で、ここでは、今その合楽示現という言葉を使うと、何か合楽教会という感じ、その合楽教会という意味じゃないんです。これは、皆さんも(          )かと思うですけれども、善導寺教会て三井教会ですけども、善導寺で私はお導きを頂いたんです。これは皆さんがお出でられたバスの停留所が(        )。次には椛目。ここが、元ここの前身で、御広前があった所です。そして次には、どうぞ皆さんの話を聞いて頂くと、夢のような馬鹿んごたる話ばっかりですけれども、それはやはり、正直考えて下さることから、(わからない?)ところが出て来るんですよ。ですから、まあ、言うなら半呪文のような感じですけれどもね。そして、合楽。私ども、お導きは善導寺で。ね、善導を受けて、おかげを最初にはそれこそ、もうそれだけはもう、とにかく私自身がない命を二偏も助けて下さったというようなおかげを頂いた。一家中の者が、親戚中の者が、いわゆる、いわば有り難い勿体無いという、金光様の御信心をするように、こう段々わかってきた。ね。それから、その勿体無いというものが、その椛目、その椛目という事は、木へんに花と書いてある。木は心です。心に花を咲かせるとある。当時、ここは椛目、あの、あれ、合楽て、椛目という所は心に喜びの花を咲かせて来る所なんです。おかげを受けて花が咲くというような御理解を頂きよりますけどね。そして、その、(     )でおらない事でここへ移らなければならない事になった。ね。そして、こう椛目の次が常持。この、その喜びを常に持ち続けるということ。そして、合楽に(      )。ね。だから、合楽という事は、言うなら神も助かり、氏子も立ち行くとか、天と地とが一つになるという事です、合楽という事は。ね、言うなら私が頂いておる御教えの中にね、天と地が一つになって喜び合うということ。金光教では一番、信心の素晴らしいところはここだと思いますよ。ね。ただ、私どもだけがおかげを頂くのじゃなくて、その、神、神も助かって下さるほどしの信心でなからなければ、私も助からん事であるですね。だから、その、言うなら天と地とが一つになって喜び合うという事。一つになって喜び合えれるほどしの、私は表現を、合楽と言うんですね。そこには、鶴亀が舞い遊ぶようなおかげという。これは、もういよいよ祝いめでたいという意味でしょう。という意味なんですが、だから、ここで、んなら、合楽示現ということを、ここでは使っておる訳です。だから、これは、んなら、皆さんもお教会の名前じゃいけんごたる。ね。なら、金光教示現活動という事にもならなきゃいけない。ね。ですから、その、ただ問題は、その金光教では意味が分からないだろう。合楽という事になれば、この中に(意味?)の色んな宗教のものがあるという。言うならば、神も助かり、氏子も立ち行く世界を顕現して行く働きだということ。私が、ちょうど二~三日前に頂いた示現ということ。私は(無能?)ですから、その意味が分からんのです。だから、こげん頂いたから、私はしげん、しげんち言いよったんです。はじめの間はね、私が、(いわゆる引き出さっしゃるですね?)頂いた時には、その、こういう意味の事を頂いたけれども、その、宣伝という言葉が一番書いてたんです。それは、なぜかと言うとね、私がここへ出てから二十五年になるんです。あの、椛目、合楽を通して二十五年になるんです。ね。その二十五年間の間に、私がその宣伝という事をした事がなかった。導けと言った事がなかったんです。御用せにゃ助からんというと言うたことがなかった。私どもは、もう信者時代に、もう本当にお導きこそ、ね、神様が一番喜んで下さる事だと、教えて、御用すりゃ本当にお徳が頂けると、(        )に頂いとった。ところが、私が言うたところで、二十五年でん人が助かるようになる、当時のあの、小さい部落で、それこそ(        )というような人達がどんどん助かって。当時、今のように(     にどくしゅ?)したんです。ね。そういう時分に人が、いわば、(上は沢山?)、もう本当に助かったばっかりですよね。それが続いておる、残っておるのが、今現在の合楽の信者です。ですから、その、ただ(   )と言うんでしょうか。おかげの頂く理念といったような事ですよね。だから、奇跡なんかというのは、もう大した事じゃないですけれども、その奇跡を見せなければ神を信じようとしないの、人間は。これは凄まじいですよ、その、そういう最近私のね、これも、まだちょっとぐらいですけれども。大黒様奉祭が、もう、一つの大黒様風味が盛んです。今もあそこに十何体お供えしちゃるでしょう。もう、ちょうどですね、八十六体、八十六体、大黒様がかかげられた。まだ、後また、あれ(じゅっぷん?)ずつ四国からは、四国に、こう大黒様の名人がおられるんですね。だから、その方の大黒様が良いと言うので、ああいうのは、(一番乗りで要望?)します。あの小さいのですよ、一人が。ね。(それで、もういくら金のない人でもですね、大黒様と言うたら、もう、それこそ私も、私もと言うて、百体近い大黒様を、あの、出て行かれたんですけれどもね。ですから、その大黒様を奉祭したところが、コロッと二百万円分、まあ、こんなに成立した事がない。また、それは実際、本当に笑い話のようにおかげを頂いてるんですよね。これがある、あの、井上さんね。(よかでしょう?)あちらの、あの嫁さんが今、(ほきょにん?)のなんですが。あの、何、(                          )店長さんもしておられる。それが、あの大黒様を奉祭させて頂いたところがね、今まで成績の良かった人達が、その大黒様が鼻で笑うような人のところには、もう先月、この前の月次祭に(         )だとこう。そして、今まではね、もう跳び込みなんかというのは、もう、シナで(乗り跳び込む?)ことを、飛び込みと言うんだそうですよね。そういう、その跳び込みなんかが出けるようになられてから、その、とにかく大黒様を拝んで行く人、お供えば持ってくる人が、もう、それはもう、(そりゃあ、もう二分?)しとるそうです。だから、私がはじめの間はね、ほおて言いよったけれども、そういう事じゃ、やっぱせっかくの(大根屋さんが?)あんた、大黒様を拝まんけんで全然仕事が無くなったちゅうような事じゃいかんじゃないかと。そりゃ、(     )そういう、その人達もせっかく夢を持っとるとじゃから、おかげ頂かにゃいけんなと言うて、まあ申しましたけれども。言うならば、奇跡です。ね。そのかわり、もう大黒様に、さあブドウの時はブドウ、ナシの時はナシ、もう、こうね。お供えば沢山、やっぱその、ね、(保険金のかいゆ?)が出けるでしょう。出けると、そのお礼にそのブドウ、お供えすると、また必ずおかげを頂くというような、その事になって来た。けれども、あの何ですか、玉水さんなんかを(ごもんちょう?)と撫でただけでね、拝みゃせんでもですよ、あの、やっぱり撫でりゃ撫でるがとありますよ、大阪の商人に聞くとですね。お参りはせんでも、撫でるは撫でるがとあるちゅう訳です。それでその、まあ、何ですけれども。その、大黒様をお祭りをしたら、その、そして金銭の送り合わせがね、そういうのあると言うので、本当にもう、とにかく凄まじい勢いでね、九十体という、その大黒様をこっからコロコロ出た。それも、私がね、ちょうどそういう事になる朝の御理解に、私が御夢の中にね、もう、(だいしょうとする?)大黒様がね、コロコロと転がり出られるところを御夢に頂いたんです。それを聞いてから、もう皆が、今そこに参って来られてます佐田さんという所のお宅がね、神様を奉祭し、(    )様。真中に昔から現代に伝わっておるその大黒様をオフィスの所に上げて。今までは拝みよらなかったけれども、親先生の事を大黒様とも表現されるのだから、親先生と思うて拝みよるという内が、もう、そりゃ、もう一発で信心するから当たり前ですけれども、本当に目を見張るようなおかげを現在受けておるです。ですから、そういう話を聞いておるもんですから、大黒様がこう言うてなさるなら、(その鯉が釣れたつを?)私にいっちょもらおうというような事じゃないでしょうが。もう、とにかく、あの、あれを皆教えてしますと、もう八十六体からの大黒様が出られる訳ですけれども。その大黒様を拝む、大黒様と交流するというところにです、私は、まあ、おかしな表現だけれども、それで良いと思うのです。これは、もう私が二十数年前に神様から色々お知らせを頂きはじめの頃でした。あの、色々その、九州でお徳を受けられた先生方の、例えば桂先生とか、または久留米の石橋先生とか。または、甘木の初代とかというような、この御信心の内容について表現して下さった事があるんです。それにはね、あの、小倉の桂先生の場合なんかは、お腹が大きい、腹が大きいという事を、ちょうどあの、(万里の長城?)とか、(清水自動車)辺りのような感じで、そのわしが言うた事に間違いがあるかというね、ドン腹叩いて、その仰っておられたという意味の、腹の大きさだったという事でした。久留米の初代の場合はね、皆さん、もうご承知ないでしょうけれども、当時は(たまねせき?)という、あの、大変もう、それこそ玉のような感じの横綱がおりました。そのたまねせきのような、心がもう、玉のように(異色?)のような美しいお方であったという表現を下さったんです。それから、甘木の初代の場合はね、ちょうどお腹は大きいけれども、それはこう、言うならば、もう妊産婦のようなお腹の大きさです。いわゆる、いわゆる、もう、生み成す事においては、まあ、日本一、右に出るちゅう先生方がおられなかったというほどしに、生み続けられたのでしょう。そういう意味でのお腹が大きかったんだということ。だから、お前もお徳を受けてね、お前はこういう徳を受けよ、受けておるです。受けよと言うて、お知らせ下さったのが、大黒様です。大黒様もお腹が大きいでしょう。ね。ですから、私は、まあ、これは、あの、ここで一番おかげを受けるというのは、やはり金銭のお繰り合わせです。私が、だいたいが商売人ですから、その、金銭の、言うなら手形なら手形の、その落ちる落ちないというような事で、もう(       )瀬戸際ですからね、一生懸命になります。もう、本当におかげを頂きます。だから、それで言うなら、これは大黒様のそれこそお徳だろうという事なんです。だけではなくてです、大黒様を奉祭させて頂いたらね、それこそ、三橋先生じゃないけども、奉祭させて頂いた。その日はちょうどお金が(切れまで?)、明日は給料が入ってくるっちゅう訳なんです。だけど、今日はもう、おかげを頂いておる、けれども、まあ、お受けして帰った大黒様を、それこそ神様の上にその、前に奉祭して、一生懸命にそれこそ、心行くまで拝んだ。大黒様を拝むんじゃないですよ。やはり、親先生を拝むということです。ね、そして、あの、冷たいものを、お茶がお好きだからと言うてお茶をお供えさせて頂いた時に、先生はいつも氷水を頂かれるから、それで、氷水をお供えしてと。私はここまで聞きよっ時にね、もうおかげ頂いたなと思いましたね、その氷水で。もう、私のが叶うた気がしたんです。そして、拝ませて頂いて、大変大きなお店ですから、ちょうど出られた途端にある方が、思いもかけない方がお金を持って来たっちゅうんですよ。そういうような意味での、その、それはね、大黒様を拝むからではなくて、言うならば取次ぎ者を拝むということ。だから、いかにね、ただ、もう拍手をしたから、御結界で拝んだってです、やはり、それだったら拝んだにはならんのです。ね、そこに、なら大黒様なら大黒様という形があるとね、やはり、これを親先生と思いよると、やっぱり親先生のお好きなものをと、こういう心が動いておる。言うなら、日頃(    )の心が形に、冷たい水になって現れる、果物になって現れるわけです。そこからね、何か交流する不思議な働きがあるのじゃないか。これは、もう事実、沢山おかげを頂いておるからですよ。だから、はじめの間は、そげなこつばち言いよったけれども、もう今度は、皆がその大黒様を奉祭したらおかげ頂くとですからね。それで、もうあれもあれもという事にはなった訳ですけれどもね。言うならば、神様が示し現しておられる訳です。ね、こんこう大神が示し現しておられるのです。ね、この示現という事もです、その私は分からんから、さっきも申し上げるように、しげんという。ね。はじめの間はね、その宣伝する。今まで、かつて二十五年間、合楽で言うならばお導きとか、合楽を宣伝するといったような事を言わなかった私が、もう口を開けば合楽を宣伝しなさい。本気で、別にね、薬を飲むわけじゃないけれども、効かんものにでも効くような事を言うことはいらん。二十五年の間に受けて来た自分のおかげ話を話しなさい。そして、なら、合楽で今現れておるところのおかげの状態を話しなさい、という頃に、私はこういう事を、真善美というような意味の事を、お知らせに、その時分からこの言葉を使うようになりましたね。言うならばです、あの、真ですから。これは、真の反対は嘘です。嘘のない生活。善は悪の反対ですから、ね、悪のない生活。美は、私はいよいよ美的なその感覚を、いよいよ、もちろん、これは、心も限りなく美しゅうならせて頂くという事なんですけれども。そういうね、あの、を言い出しましたんです。そして、私は改めてこの二十五年間というものを振りかえって御信者さん方を見たところがです、皆、大体に置いてこのものが、その人の心の中に、家庭の中に現れておるのに、また驚き出しました。ね。そこでです、なら、自分の家庭におかげを受けておるところの、もう一つ私は改めて驚いております事は、言うならば合楽に御神縁を頂いておる方達の上に、争いが無くなっておる事に気がつきました。ね。次にはね、貧乏が無くなっておる事に気がつきました。ね。次には、病気が無くなっておる事に気がつきました。もう、ほとんどの方の家庭に、もう薬箱がないと言うのです。信心しよるけん、薬は飲まんというのじゃなくてですね、薬を飲まんで良いほどしのおかげを頂いておるという事実をね、改めて私自身が発見したのです。それから、私は一人ひとりに、あんたんとこ、それこそ(     )じゃないけれどもね、そういうおかげを受けておる事実をね、極楽と言うのだよという事になって参りました。だから、無理にでも、どうでも極楽をね、自分で確認しなければいけない。自分こそ、ね、もちろん極楽にもピンからキリまでありましょうけれども、言うならば、もう極楽にいる時に、(    )な、もう入ってる訳ですから。もう、それだけでも、ね。だから、それをおかげを頂いておる事実を私は人に伝えて行く働きをね、しなければいけないという事になって参りました。貧乏のない世界、争いのない世界、病気のない世界。本当に金光教の信心をすればね、私はあの、ある時、もう二十年も前でしたでしょうか、あの、(すだ?      )先生かね、久留米の御広前に、あのお話に見えた事がございましたがね。その方に、あの、質疑応答の時に、私の方の、その時分に修行しておりましたある人が、その、当時合楽ではもう、当時の椛目ではね、もう医者に、とにかく医者にかかるてん何てんちゅう事は、もうちょっと(         )薬なんかおかしくて飲まれない。(   )薬飲みよるちゅうような時代だったんですよ。だから、その(一瞬食えると?)思うてあったでしょうね。先生、あなたはね、あの、病気をなさった時に、お薬を飲まれますか、医者にかかられますかと言うて、質問致しました。そしたらね、あの、文男さんち言いよりましたが、文男さんが、こうこう、(こりゃジ―ッと見よんなさっているが)、金光様の信心して病気するですかち仰ったそうです。はっは。うん、もうそこをうまく抜けちゃったです。また、(ばっかりです?)。金光様の御信心をすりゃ貧乏が無くならなきゃ嘘です。その貧乏が無くなるという事はね、(着物ばっかりを棚に上げる?)という事じゃないですよ。その日暮らしでも良いけれどもね、明くる日の必要な時には、絶対頂けなきゃ嘘なんです。ね。(いかげつ?)ともおりながら、目の前から(   )が少なくなると、もう不安である、心配である。そして、あちらに借りに行ったり、こちらに借り行ったりするような事をするから、いつまでも力にならんのです。ね。本当に金光様の信心をしよってです、争いなんかがあって良かろうはずがないです。けれども、やはり、なら夫婦の中に、親子の中に事実ありますけれども、そんなら、親先生はどげん言いなさるか、明日親先生が言いなさる事に(きみのあつい?)ことに、まあ、ここの信者の方にはなる訳です。そして、ある御先生がお伺いをさせてもらうと、(       )開いたら、もうそれで解決するんです、信者の方には。だから、もう争いがないのも同じだと。ね、なら、病気がないと言うけれども、私もやはり、まあ、糖尿病という病気を抱えておって、おかげで学院に行かれなかった訳なんです。まあ、これは本当に有り難い事だったですけどね。私は、あん時に、そりゃもう、一年間私が行かんならんて、もう信者がもう、すがるようにして、あの皆が泣きました。私行かんならんけん。けども、もう行かなきゃならない破目になってるんだから、あの、やらせて頂こうと言うて、まあ、参りましたところが、こうか、こうか、初めて私が糖尿病である事に気が、向こうで分かったんです、(腎臓の回り?)。そして、ちょうどその時に、あの腎臓で亡くなられた方が学院生の中にあったのですね。だから、この事にえらい神経を使うておられた、その年だったのです。だから、おかげで、まあ、あの検定なら検定が許された訳でしたけれどもね。おかげで、まあ、一年間修行が出けませんでした。けれども、まあ、それはおかげだと思いましたけれどね。そういう、その言うならば、なら、(親先生をなさってから?)あなた糖尿病じゃないですかと言われりゃそれまでですけどね。けれども、私はそれを糖尿病という名の神様の御都合だと頂いてるんです。ね。そりゃ、もう糖尿病という名の神様の御都合なんです。その御都合であるという事は、もうあらゆる場合に感ずるんです。ね、今日も教師会で若先生が行ってくれておりますけれども、もし私がです、ね、健康であるなら、私が顔を出さなければ、他の先生方に対しても済まんですよ、だいたいは。けれども、合楽の教会長は糖尿病で、だいたい動けんからと皆が知ってありますから。ね、あれが若先生で、あれば認めて頂いてるんですね。だから、もう一言、二言じゃありません。もう、糖尿病のおかげで、もう、それこそ、様さまと言うごとある。けれど、だから、糖尿病という名の神様の御都合だという風に、ね、ですから、もうほら、病気がない訳でしょうが。糖尿病という名の神様の御都合ですから。そういう意味なんです、ね、先生しよるから、んなら、風邪も引かんとか、あれもないかというような事ではないけれども。おかげで、言うなら、真善美がいよいよ本当なものになって行き。言うならば、貧乏と、言うなら争いと、ね、それから、あの、病気のない世界をいよいよ合楽では、これを嫌がおうでも認めなければならないという時に入ったわけです。ね。そして、なるほど親先生に言われて見るとです、言われてみると、なるほどおかげ頂いておったなあ、第一、医者、薬も無くなったし。まあ、その日暮らしではあるけれども、さあ、手形でどうという時には、お取次ぎを頂けば、ずっとおかげを頂いて行くのだから。やはり、銀行にお金を溜め込むと理屈は同じ事のようなおかげを頂いて。銀行に金を貯めてはならんという事じゃないです。(               )のですけれどね。けれども、ほんなら、その、本当に金の、例えば必要な、金が必要に応じて頂けれるというようなおかげを頂いたら、もう貧乏はないのと同じじゃないでしょうか。だから、いわゆる、信心を疎かに出けない。いわゆる、貧乏のない、争いのない、いわゆる病気のない、そういう社会の中に、しかも真善美。そりゃもう、私、宅祭りにはお家に参ります。もう、本当に(食べよります?)方はね、皆どこの家庭に行っても、合楽好みになっておる所です。ね。そりゃ、もうそりゃ、その何十万、何ぼのものをするようなね、(  )も掛けたり、額を掛けたりではないですけれども、それは、ね、例えば、(がし?)の切り抜きからでもです、ね、そりゃちょっと、それ相応の額に入れて、ちょっとこう、大接に下がってあったり。ね、部屋にはちょっと花の一つも植えてあったり。ね。炊事場の最近は新しい、あのあれで、ピシッと出けておったり。言うならば、その美的な感覚が非常に、どこも出けて来ておるという。もう、ちょっと行くならば、合楽の小型のような感じがどの家庭にでも出けて来たという事です。ね。ですから、んなら、真善美という事がです、または、今も申します貧争病というようなもののない世界に住まわせて頂いておる事実をね、確認させられたところがです、そっから湧いて来るものが、いわゆる合楽示現という事になって来る訳なんです。こういうおかげを人にも訴え、もう同時に、なら二十五年なら二十五年間の間に、もう様々な、もうとにかく神様と言わなければおられないほどしのおかげを、皆が頂いてる。だから、この、これを、しげんではなくて、示現だということが、西岡先生が字引きを引いたら書いてあった。しかも、それに、私はその、意味を書いてあるのをね、聞いてから、またなおさら驚いたんです。それを私は宣伝、宣伝ち言いよったらね、宣伝てん何てんち言うちゃ、どうもいかんち。それの宣伝になっとる、その宣伝てん。合楽の宣伝ば宣伝せんの、宣伝せんの(    )、そしたら合楽はみょうな事ばしちゃるという噂が立ったということを聞いたんです。それから、私は神様にお願いさせてもらいよりましたら、こういう、しでんと頂いたから、しげん、しげんて言いよった。ところが、実際字引きを引いておるところが、示現と読んでいたという事が分かった。しかも、その示現という、その意味がね、皆さんも後からいっぺん字引き見て下さい。これはもう、やはりあの、実感として見、実際に見たり聞いたり、テープでもそうでしょうが。ただ、私の話ばテープで聞いて下さるけれども、こうやってジェスチャー交じりで聞いて下さった方が、実感として残るです。ですから、あげん言いよったけんで、後から字引きを引いて見て下さい。その字引きに書いてある事はね、神仏が不思議な働きを示し現す事だとあるんです。私はね、はああ、もう今まで二十五年間の間、まだ示す働きというか、示す力というようなものが、実際は神様を発動させる働きが出けてなかった。言うならば、二十五年間の間に、溜まりに溜まった光というか、力というか、これがもう、そのせきを切って広がって行くような働きが起こってきた。こういう働きも、これは私は思い立ったわけでも何でもないですけれども、こういう働きになって来たという事は、やはり示現活動の現れだと思いますね。ね。それから、もう一つ、あの、たまがった事は、参画という事です。私にある人の、あの、私は毎朝示現活動に参画せろ、参画せろと言うもんですから、親先生が睨んでから、(      )こう思うたらしいです。先生、あれは参加ち仰るに感謝せよちゅう意味。私は、参加が参加ぐらい知っておるですからね。はっは。冗談のごと、あれはやっぱ参加じゃなかにゃいかんという意味です。その、(               )だけ知っておったです。だから、あれは参画だ、言い損ないがない、なら、本当に参画だよと申しましたから、また、あれは文男先生か誰かがね、字引きを引きました。そしたらね、その働きに預からせて頂くという事だそうです。ね。神様の不思議な、神仏が不思議な働きを示し現す事が示現であるならばです、そういう神様が、もう先頭に立って働きかける、そういう働きにです、私も一つどうぞ頂かせて下さいという事なんです。預からせて下さいという事なんです。私が参画するじゃないです。そういう、神様の御働きに私も預からせて下さいという意味が分かった時に、また、いよいよ私はたまがりました。参画という事はそういう意味だということ。ね。先日も私、御心眼に頂いたのが、私が11~12歳ぐらいなんです。あの、桃太郎さんです。ね。その桃太郎がね、あの、風呂敷の大きな風呂敷ば持っちゃるけん、あげな大きな箱を見たことなかち。おかげ箱ですけどね。それで、(振れるごと?)私に渡るとです。それがね、あの、御本部で売ってるでしょう、吉備団子ちゅうのが。あれが中に入ってるらしいんですよ。ね。を頂いて、私は本当にね、神様が言うならば切実心に振れたような気がしました。ね。本当を言うならば、お爺さん、お婆さんが手作りの吉備団子がほんなもんです。ところが、もうそれじゃ間に合わんでしょうが、今の時代。(         )困る。こりゃ(せいぞく?)のごたるかすにね、こう、(   )。それに、あの、あちら、備中の吉備団子が入っとるです。という訳です。言うならば、金光様のお徳をここへ持ってくるというような感じも致します。ね。そこでです、んなら、皆がその、それこそ大黒様じゃないけれども、おちょうだいをちょうだい、おかげが頂きたいという、はああ、おかげてん何てん、もう信心ば頂かにゃ。ね。おかげを頂くなら、信心を頂かにゃんて、それはもう、二十五年間私が言い続けた事ですから。もう皆、その知ってます言うてもです、お金の事を言うと、おかしいぐらいに皆が言いよるけれども、さあ、大黒様が発行し出しなさったらどうですか。百体近い大黒様を、我も我もと言うて、買い求めるじゃないですか。一万円もするとを。だから、いかに人間の心の底にはね、おかげが頂きたい、頂きたいというものがいっぱあるけれども。おかげが頂けんけん、諦めとるというようなもんじゃないでしょうかね、本当は。うん。そうです。また、本当にね、あの、神様はね、あの、願う氏子におかげを授けと仰るから、(それぞれになさるです?)。ね。そのかわり、次には桃太郎さんの言う事聞かにゃという事になって来る訳です。そりゃ、只じゃやりませんよ。ね。それこそ、一つ下さいち言ったなら、お宅も始末がなからにゃいかんです。しかも、よかところじゃなか、鬼征伐。ね。もちろん、自分自身の心の中の鬼征伐でもありましょう、言うならば、今世界中に広がっているところの鬼征伐でもありましょう。ね。そういうような意味を含めて、私は合楽、だから合楽という言葉を使わなければ、合楽示現活動という意味が成さないわけなんです。皆さんのさっきのお話を頂いてです、例えば今の私のお話では、ピンと来ないお方もあるかもしれん。先ず、自分自身がね、私はあの、助かる事に一心発起になられること。私どもの若先生が学院中に、こうして発表せにゃならんところが、事があるでしょう。それで、一人ひとりをテープに入れて、持って帰っております。それが、お父さんという、まあ、私の事を話しておる訳なんです。まあ、それこそ宿命です。とにかく、お道の教師もいないのに、人がお取次ぎ助けるといったようなことがいけないという事になり、そんなら僕が大学を辞めて、学院に行こうという事になった。ですから、まあ、言うならば、あの合楽教会の、言うなら、この自選に乗ったようなもんです。だから、今でもあんまり、もう、には言えません。もう、本当に朝の御祈念がやっとかっとですけれども。それでも、まあ、私がこんな風で出歩かれませんから、外の御用だけでは、そんかわり一遍に引き受けてやってくれております。がです、やっぱり一回にはあの親教会(   )なんかですから、修行に参りました。そして、本当にね、お道の教師にでもなるならばね、本気で神の声ぐらい一遍聞いてみたいというような気持ちを起こして、あの、別の日に、あの未開拓の布教あります、修行の方で入っとった。その一軒を、自分があの、自分の部屋にして、そしてもう、私は後で聞いた話ですけれども、晩は眠らなかったり、断食をしたりして、神様から声の一言も頂きたいと言うて、その、まあ、一生懸命まだ修行に行くまえですから、ちょうど半日余りの道を、毎朝、善導寺のお教会にお参りしながら、それはそれが狙いです。神の声ぐらい聞けなきゃ、本当にお取次ぎなんか出けるもんじゃないという風に感じるわけなんです。ね。そういう、そのある日、私が勝彦と申しますから、勝彦を読んで申しました時の話を話してる。それを、あの、持って帰っておりました。それが、パンフレットになって、(          )ですけどもね。勝彦に私はこういう話をした事を書いております。あの、お釈迦様のお弟子の中に、(しゃにぶち?)というお弟子さんがあった。もう、この人は頭脳、言うなら知能第一と言われるほどしの、お弟子の方でも、いわゆる(   )派の方であった。もう、来る日も来る日も(    )歩いて、深刻な顔をしておる。ちょうどあの、高橋雅夫先生辺りは(       )でしょう。ああいう姿じゃないかと思うんですね。あの教学者という方は、お道のある意味犠牲者ですね。けども、教学者はどうでもあらなきゃいけません。けれどもね、私は本当に人を取り次ぎ助けるという事には教学はね、あんまり、あの、かえって邪魔になる。楽が身を食うとして、確かにそういう事、ものを感ずるです。私のような無学、馬鹿のような男でも人は助かってるです。ね。ですからね、そのさっきの話じゃないけれども、私がさっきから頂いた。頭をきれいにしておるという事は、頭だけは教学のスッキリしておる人の事じゃないでしょうかね。下の方はぶしょうヒゲでこうしておる御心眼を頂いてね、言うならば、お互いが頭じゃ分かっとりながら、言うならば、なら御結界なら御結界の奉仕、信心する、修行なら修行という事には、言うならば、ぶしょう心で本気で勤めていないという事だと思うんです。ね。そういう、あの、訳で、んなら、(            )ですけれども、ね、それこそ、神の声一つも頂かなかった、御神夢一つ頂けなかったというのです。ね、ただ一回だけ、これが御神夢だろうかという御夢を頂いたと言うのが、ちょうど自分が御結界に奉仕をしておる。あの人は、十二の歳から一時間ずつ、学校、小学校から帰って参りますとね、御結界、私がご飯を頂く時間だけを奉仕してくれました。12の歳から、これはもう毎日。もう、それこそ、あの親戚に歩きに行っとりましたもんね。いや、僕は御結界の時間があるからと言うて帰る、椛目の時代。ね。ですから、もう御信者さんが、もうあんまり可愛らしかもんじゃけん、そりゃ紋付袴を作ってお供えしなさった。それで、今でも写真が残ってますがね。あの12の時に、紋付袴を着けて御結界奉仕をして。そして、もう、とにかくひっくり返ってちゃんと寝とる、グーグー寝とる。いつもその時分な、あの紙芝居が来よりましたもんね。そすと、もうほんな当初の教会の横で紙芝居がカチカチやり出すんです。すると、涙しよりました。あんたばっかりは、どうして。そしたらね、おしっこに行くごたるけん泣きよったっち、言い訳しよるとじゃろうね。(    )が実は残ってますがね。それでも、やはり辛抱しました。もう、中学高校、ずっとその1時間だけは、これはもう、必ず奉仕をさせて頂きました。まだ教会という看板がない時分ですからね。それがね、その、自分がやはり御結界に奉仕をしておる姿なんです。ね。そしてから、ちょっとこう、あの、御初穂のあの台がね、ございましょう。それに、(おへい?)が二つ乗ってましょう。それが、もう、この、あの台がね、もうそれこそ、もうこんなに厚い、もうえらい頑丈なものであって、それから、(おへい?)が斜めにね、こういう風にして、その掘り込んであって中に。だいたい、ここに置いてあるでしょう。それが、こういう風にして、掘り込んである、その、お夢を頂いた時に、本当に私の頃からアンタが本当に取り次ぎ者になる為にはね、信者がそれこそ、もうほんに目の前が真っ暗になるようなお取次ぎを持ち込んで来るような事があるよと.本当に根、此れがびくともするような事であってはおかげにならないぞということ。御初穂受けがこうして斜めにあるという事は、信者の方に受けちゃならんということ。ね、もう、お供えが多いけん、する気もせんけんで、あの、(寛大?)のごたる先生になっちゃ出けんぞということ。お前もこの事だけば考えとけばよかよ。それこそ、どういう難儀な問題を持ち込まれても、ビクとんせんだけの力を頂かなきゃいけないという、そのお知らせは、そういう修行をしとけよ。一回だけ頂いたと言うております。ね、そして、なら、親先生が言うた事はです、いわゆる(  )とお釈迦様のお話であったと言うのです。ね、考えた。修行もしてみるけれども、一つもその、言うならば仏様が分からない、神様がわからない。そこでね、お釈迦様がある日、(   )を手元に呼んで、懐からハンカチを出された。まあ、ハンカチですね、ハンカチ。ハンカチを出されて、それで、言うなら、その(     )を固く結ばれた。そして、(    )の前に出された。ね。それを、といてみよと仰ったから、それをといた。また、結ばれた。三回、四回、五回と、それを繰り返しておる内にです、つい第一と言われるほどしの(     )の方ですから、翻然として分かったと言うのです。皆さんどうでしょう、お分かりになったでしょうか。ね、ただね、このハンカチの隅と隅を固く結んである物をです、ただ、(むだくまに?)見ておるだけで、どうしてとけるかち。ね。私の言う教えなら教えを本気で行じてみよ。金光大神が教えて下さっておる事を、親先生がこうせろと言われる事を、本気で素直にそれを行じる以外にはないんだと。ね。行じるところにとけるんだ。ね。それを、肝に命じておりますというお話をね、十五分ぐらいの時間でお話をしておるのを私聞かせて頂きました。信者も大変感動しましてね。それをお書物、小さいパンフレットにして、その当時の時の大祭の御直会に下げた事がございましたけれども。私はそういうようなものがね、今日私が、今朝から頂きます、その中に欠けておるのじゃないかと。言うならば、お道の信心は三代様が仰せられるようにです、ね、辛抱する事が一番大切でございますと仰った。だから私はね、その辛抱を厭うならば、金光教の信心は好きだとか、教師になる、人を取り次ぎ助けるということは、私はもう(止めた?)が良いと思うですね。それもね、例えば火の行、水の行をせよと仰るのじゃないですからね。うん。その辛抱がね、有り難い。その辛抱が楽しいという事の出けるところまで、一つ辛抱し抜かにゃいけないと思うです。そりゃありますよ。ね。その、本当に泣きたいごと辛抱出けない時がありますよ。それでもね、そこんところを、私がちょうど、もう十年ぐらい前に、この両足が全然なえてしまって立ちませんでした。ある日の奉仕の立たせて頂く時間に、座ってる間は分からなかったんです。立とうと思うても立てません。それでね、あの、御結界の机を押して、押してから下の低い所に下がってから、そこでつかまえた(    )立てました。それから、人を呼んで抱えてもらって。その時に私が一番はじめに感じた事はですね、ああ、そういうものが来たなあという事でした。もう、それでも思いよったら、なら、もうとにかくその、立てない事が有り難かったです。それで、それと、御結界に座らせて頂いておってです、もう辛抱しきれんごたる時もありましたけれども、ね、やはり私がもう、いよいよ足が立たない、なえてしもうたという事になったところからです、これから、いよいよ本気で神様を喜んで頂く御用が出けるようになったというのがね、あの、その時の私は有り難涙であったと、自分で思うんです。ね。ですから、辛い事は辛いです。けれども、そこんところを、私が辛抱し抜かせて頂くところからです、ね、三代様じゃないけれども、泣く泣く辛抱されておる内に、思う事も無くなり、欲しい物も無くなり、もう金光教の信心のね、一番素晴らしいところですよ。思う事が無くなるという事は、我情が無くなるという事でしょうが。ね。欲しい物も無くなりましたと仰る事は、もう我欲が無くなったという事でしょうが。そこに、次に有り難うて有り難うて、何ぼお礼を申し上げても足りません、そのお詫びばかりをしておりますというような境地がお開きになられたんです。ね。そういう中にです、私はあれが立たんようになった時に、初めてその、言うならば、あの、遊びに行きたいとか、食べたいとかというような欲望が無くなって、これから本気で神様の劣り立て奉る事が出けるなと思うたら、あれが立たんごとなった事が、実際に有り難かったんです。ね。それが、まあ、不思議な事に色んな、(          )時には立つんですよ。終わるとカタッと止まる(    )。その御本部参拝の神前へ入っても、それこそあの、奥城はこう、負んぶされながらね、私が(         )ばっかりありましたから。私の負んぶをしきるとがたった一人しかいなくなった。そりゃ、もう(          )あの、私の(      )目頭なんかがね。けども、ほんなあの、(               )。そういう、通らせて頂いたんですけど、今私がやっぱね、あの、(      )をつくのは、(      )本気じゃない。けども、歩く事にはおかげで不自由いたしませんけれどもね。とにかく、私はあの、そういう、このぶしょうヒゲを綺麗に剃ってね、そして、こちらの方ば一つ伸ばしに伸ばして頂かにゃいかんと思う、神へ、信心を。ね、そして、これをきれいに結い上げるおかげを頂かせて頂かなければならんのです。その事を私はね、人が助かる事さえ出ければという事は、自分自身が助かった事だと思うんです。ね。自分自身が助かった時にです、初めて、ね、一つ(     )じゃないばってん、本当の極楽を頂きながら、極楽の自覚が出けとらん。ね。そして、それを、んなら、いかにして示そうかとすら思うてない。自分はおかげ頂いとって。ね、だから、その程度の極楽じゃなくてです、本当のおかげを頂いておる事実を実感するということ。おかげを整うて行くこと。改めてです、皆さんにも、先ず極楽の、んなら、遠方ここまでもお参りになり、その(帰りに感謝して下りられた?)。ね。無事でなからにゃ出けません。健康でもなからなきゃ出けません。今日、私は何通かの方の、もう本当にもう、旅費か何かの都合で出けられないようなお方にはこっちから送ってやろうごたる気がしましたけれどもね。これでは、あんまりだと、まあ、思いましたけれども、そんな方も、今日は会合出けない方の中に何人もあったです。ね。本当色んな事情もあったり。もう、わざわざね、それこそ、あの、お供え物も送りました。(土?)も買いました。けれども、あるその、教会お手続きでもない、そういう所に行く事は、言うならば邪道だというような風に言われてですね、もう泣く泣く来れない事が(     )というような、まだお弟子さんの、あの、親教会で修行しておられる身ですから、あの、そういう方もありました。私は思います。本当にあの、手続きという言葉はね、もう金光教から無くさなきゃ駄目です。あれは、もうね、あの事務的な事だけに使や良いんです。もう、それこそね、私が頂いておる事は、受けて、ね、受けてそれを、あの、流して行くというのが、あの、金光教のお取次ぎだという意味の事をね、あれは、どういう事だったかね。流れ来たったものを流れ去らせる、と頂いたんです。だから、私が善導寺の教会から流れ去った。ね。そして、これが流れきった、私の、んなら沢山の先生が出けますけれども、その(出来?)がです、なら、合楽とも親先生とも言わなくなっても、問題はいっちょんないです。もう、流れ切らせたら良いんです。けれども、あの時分の事を思うたら、親教会のおかげの事を思うたら、あの時分のおまかないを頂いとった事を思うたら、ジッとしておられんのが、逆流しながら親教会に行くのが本当の、親、私は親教会だと。ね、動燃心です。もう、親教会の。けれども、私は信心の上ではね、この手続きという言葉は、これは私の(くじのかんだい?)ですけども、無くさなければいけないと思うです。ね、んなら、あの、今日もだいたい見えるはずだったでしょうか、あの(南の方?)。(南の?)教会の、あの御信者さん方が、やはり朝参りをして来ます。そして、その朝参りで頂かれた御理解を持って帰って、教会で皆さんで聞いてもらいます。親先生にもお届けをしました。若先生にも(本当にこの頃      )しておられるから、もう信者が一人ひとりでお取次ぎへ見えられました。そして、あのお引きよを頂かれるように、今、御月次祭だけは必ずお参りがあります。ね。例えば、んなら、甘木の親教会はそこにある。これを馬鹿にするとか、そういう事じゃないです。いや、甘木の教会に頂くものも沢山あります。けれども、これは合楽に来なければ頂けないものもあるんです。ね。例えば、んなら、今日はあの富永先生がこちらへ見えてからお届けがありました。それはね、ちょうど、あの、こちらへ長い間、あの布教時代がついて、それから合楽に御神縁を、椛目時代から御神縁を頂いて、あの、おかげを頂いて来られたわけですけれども。もう、それこそ合楽と共にだんだんおかげを頂いて、教会にもなる。信者でも、本当にあの、熊本でも(       )信者さんが次々出けた。この頃から、本当におかげを頂いて、毎日(             )しておった方が、この頃は一万円、二万円で御初穂をお供えするち。だから、(      )。大丈夫でしょうかち、こう私が言いました。もう、そりゃ(       )するちゅうとがあるなら、それでんいいとばのち私が。その人がおかげを頂く事なのだから。その人が力を受ける事なんだから。そこで、(                                                      )
ちょっと思いますよ。ね。私もそげなんとがありました。けれども、やっぱり力を受けてる。ね。だから、そりゃ一万円が、その、まあ、一万円(    )だそうですが、そりゃ三万円でん五万円ずつでんね、おかげを頂かなければ出ける事っちゃない。それば徳を向こうは買って来よるとかも知れん。けれども、私は、ちょっと多すぎるばいっちゃ言いなさんなち、私はさっき申しました。ね。だからね、あの、本当にそれは、どんな難儀な問題であってもです、なら、ここに(ぐっと?)見ちゃならんように、どういう素晴らしい、ならおかげを頂いたからと言うて、先生が有頂天になるような事じゃない、おかげにならんです。ね。もう、そういう時にはそういう時ほど、先生がいよいよ、んなら、それこそニコッともしちゃならんと思うですね、おかげにならんけん。本当ですよ、私はしませんよ。私はブ―ッと腹かいとる、ぷんぷん。はっは。そして、分かるごたる。ね。そして、もう本当にその、あの、これは、もう私のあの、(    )体験ですけれどもね、そういうおかげを頂いて参りまして、今日、合楽がございます。そして、今日はその、合楽示現活動研修会というような風に(積極的に?)立ち上げましたから、その合楽という事には、この頃から、ここにあの、青年、筑水地区のあの、青年会の信心実習会を致しました。その時に、やはりその示現活動の話をしましたところが、その質疑応答の時にですね、親先生は合楽、合楽と言わんで、合楽だけで良いですかち、こう言う、いうような質問があったんです。だからね、そりゃ合楽教会ていう意味じゃないですよと。さっき聞いて頂いたね、言うなら、善導寺から、勿体島からというような、あって、合楽という言葉が一番適切だから、合楽と言う訳なんです。言うならば、常持という所が、ね、喜びを心に常に持ち続けておるという事なんです。だから、ここが極楽です、言うなら。だから、極楽のもう一つ先の事を合楽と言うんです。私はそういう風に説明してるわけです。ね、だから、あの、文男先生なんか今、ちょうど、その常持の所に、もうおる訳(ではない?)。もう、合楽はそこに見えとるのに、合楽の方に行きよらんとです。ね、合楽にまで行くと、神も助かり、氏子も立ち行くという事に、もう一つの所なんだ。ね。私が助かっただけじゃいかん、本当に今の時代に、ね、(    )にです、例えば本当に生きた宗教を、あの、求められておる時はないと思うんです。先日から、あの、まあ、この頃、今日もあそこへお届けがあっておりますがね、あの、からすと、あの、伊万里の市長から、今日はあの、高松の(     )がお見えになるんです。それから、29日の日でしたか。だから、そのお天気のお繰り合わせをお願いしますというお届けがあってますがね。そして、もう本当に、あのこの頃から、あの、この久留米市長の参拝の時に、はじめの間は選挙運動の(     )、この頃はもう私製の上にそれをお届けをなさいます。この頃からインターハイで一周間、ちょうどその前の日でした。一週間余りずっと(湿気?)続きでしたその当時。もう、雨が降ったら(最悪のごたるでした?)。それで、あの、井上さんね、あの、あの井上さんが、もう電話を切らっしゃった訳ですよね、市長さんに。今ね、合楽ではね、こういう風に示現活動ちゅうのがあっておってね、とにかく市長さん、久留米の市民の為に合楽にお参りをして下さい、お願いをしてください。私は毎日、その、その何ち言うですか、運動場ですね。その、運動場の側におられますから。その、高校生の方達が、もう泥沼になって稽古しとるのを見ておられないち。それで、それこそ天地の事が自由になるというほどしの事ですから、貴方の御神縁が御在りになるのですから、どうぞお参りして下さいと言うて、電話をかけたと。そこで、あの、市長さんはじめ、市長、奥さん達、子供さん達連れて、あの、その前日に見えました。もう、その日にもう、今にも雨の降りそうな、言うなら状態でした.私は下がってたから、大接間で一服させてもらったんですけれども。とにかく、明日、皇太子がご夫妻で見える。それで、そのちょうど3時から6時までの間だけでも良いから、お天気のおかげを頂きますようにという願いでした。それで私が、もう市長さん、そげん3時まっでん、6時まっでんと言わずに、インターハイが済むまで五日でも一周間お願いなさった方が良いですよと。これは、貴方個人の事じゃないからね、神様は聞き止めて下さるですよち言うて、私がお話をしたんです。そげな欲な事で(聞くなら?       )お願いして下さいち。そうお願いしましたら、明くる日からもう開成に恵まれた一週間でした。そして、あの、とうとう四日目に、あの、土砂降りでしたけれども。久留米は久留米で、球場の一角があの、振らずに周囲は全部(なめぐも?)、ここへんの、それから佐賀の方、鳥栖辺りも周囲は全部(    )でしたけれども、その久留米市、球場にだけは雨が降りません。それから、一周間が終わって、また皆でお礼に出て見えました。出てみえてから、帰られたという頃から、もうこの辺一帯のちゅう都市は全部(   )です。ね。だから、そういようなですね、やはり私は一つの何ちゅうですかね。まあ、お国自慢というならね、あの、この頃から一つは、こちらのあの、ここの御広前がきれいになったからね、もう、山からこう下りてくる。向こうに石をつくる。そして、ここもそれこそ観光地の中に一つ入れたいと思うがどうでしょうかち。そりゃ、お参りなら良かばってんか、観光地て、そげなまた、見てもらうごたる風、ほどしの事じゃないですからねって言うたら、そしたら貴方、あの、示現活動をして下さったら良いでしょうもんと言うて、この頃、示現活動という言葉を覚えられて、言うなら、久留米私製の上にもそういうおかげを受けておられます。ね。本当にね、私はどうして私ぐらいな者の言うことを神様が聞いて下さるだろうかと思うですけれども。それは、私が、ね、本当に成り行きを大事にするからです。言うなら、自然の成り行きの中に私が飛び込んで行くから。ね、その自然が生きて来る訳です。それを、ここでは、25年間(         )ですけれども。成り行きを大事にするということ。だから、もうこの生き方で行ったら、問題は無くなるんですよ。ね。その成り行きそのものも、だから最近では、それがあの、またこれは時間を掛けてひとつ明日あたり聞いて頂こうと思うんですけれどもね。言うならば、自然がいつも私のバックでいて下さっておるという感じがするんです。ね。ですから、あの、皆さんもおかげを頂いてです。ね、言うなら、信心のない者であろうが、どういう、んなら、学歴を持った人であろうが、偉い人であろうがです、なるほどあの、金光様の先生が言うたが、やっぱほんなこっちゃったという事になって来るところからです、やはり、もう、金光様を言うようになります。昨日、一昨日は鳥栖市の市長さんからお届けがありました。この頃からは、ここで大変おかげを受けた人が、久留米市長にじゃない、福岡市長に、それこそ福岡市民のために、ちょっと合楽に参って下さいと言うて、示現活動にさっそく手紙が参りました。その方が、この頃から、あれは、ナショナル、松下幸之助さんにその手紙を、もうそれこそ長々と書かれて、こういう風に致しましたから、どうぞよろしくて言うてね。それは、とにかく貴方が現しておられる御本が素晴らしいて。自分の子供達にも、それを読ませた、あんまり素晴らしかった。けれども、これに、もし合楽の信心が入ったら、もっと素晴らしいでしょう、どうぞこの御本を読んで下さいと言うて、(おかねをしまっとったっち?)。まあ、それがね、そのどうなるか分かりませんけれども、そういう働きが、私は示現活動。もう、神様が先頭に立っておられるからだと思うんです。ね。本当に、あの福岡の市長さん、もうあそこに、必ずどんたくがありましてから、もう半分はお湿りと言われる。もう、お湿りどんたくと言われるぐらいにあるんです。これは、あの、今の伊万里市長なんかの場合でも、もう伊万里市長が(    )になって5年6年かになりましょうね。が、あの今までは(あまごえじょうし?)て言われとったのが、今度の(石?市?)はついとるばいて皆が言うくらいにです、あの、お天気のおかげを頂いております。もう、私製の上にも、もちろん頂く。ただ、素晴らしいおかげを頂いてます。ね。だから、そういうです、なら、政治家もです、まっ、言うなら医者もが、学者も、本当に金光様の生きた働きをわからせて頂いて、本当に薬が毒になるという事実をね、医者なんかでもわからせて頂く事を、私は一生懸命説きだしましたら、医者のお参りがね、あの、参って来るとがね、もう本当を言うたら、親先生そうですと言うです。医者が、効いたごたるけども、どこにか毒になっとる。だから、薬を飲む時には、本当に神、祈れ薬れですよね。毒にならんように、調子、注射の打ち違いがないように。ね。あの、この、あの、久美子先生のお父さんなんかはもう、もうそれこそおかげを頂いて、ご飯が食べられんもんで私のお話を頂いて、大祭の時にね。もう、あの時の講話が頂けて、もうこれで病気が治ったじゃろうかちゅうごとして、喜んで帰ったんですよ。その明くる日が、お医者さんが来てから注射をした時に、ショック死。それで、もうお医者さんがね、もうショック死して私が注射したけんち言うて(   )言うちから、(     )。(       )ばってんね。(        )実際は。ね。なら、あれがご飯食べなかったつが、赤飯を頂いておかげ頂いて帰ったばっかりだったんです。ね。そういうようなね、私は生きた技術というか、本当の本当を分からせて頂くと、(          )があるか分かりませんけれど。これは限りがありますよ。ね。けれども、私が(わかるめて?)、そして私が現しておるおかげをです、皆さんが見て下さったり、聞いて下さったりしてです、ね、んなら、皆さんの例えば、富永先生じゃないですけれどもです。ね、まあ、言うならば、どうにでも出けなかった教会でした。それが、なら、最近ではです、ね、それこそ日初穂を一万円も二万年も出けるような信者が出けて。ね、しかも、あの色んな研修会の時なんかは、もうこの、富永先生の日奈久教会の信者の話が一番と言われるくらいに、おかげを頂いております。こちらの末永先生が兄さんが、郷ノ浦という所で布教しておりますが。本当にここにおかげを頂くようになってですね、もう、合楽が、奇跡が始まったと言うたら奇跡が起こる。その内には電話がかかって来て、先生が言う。もう、とにかく、もうキリスト様、仏様。もう、あらゆる仏様、神様を拝んだという人も、どうにも出けなかった人が、参って来て御広前へ着いた途端に(お金の修理が?)はじまった。もう、ビックリしてから、あの、おかげを頂いております。(     )の人がおかげを頂いとります。合楽(で人に?)奇跡が始まりましたと言うて、電話がかかってきて。ね、ですからあの、とにかく、やはりあの、もう、交流するという事ですね。ただ、それはちょっと参考じゃなくてから、交流する。そういう意味合いでです、なら、手続きというものをいっぺん、こう取らないと交流しないです。ただ、それを参考に持って帰るだけじゃ交流しないんです。だから、交流するに値するだけのものがあるかないかを、今度は一つ本気で皆さん、あの極めて行って頂きたいという願いを持っております。それが、そのまま、また示現活動である。ね。(     )世界に、私はもう教内でガチャガチャ言うのじゃなくて、もう金光教が上げてね、全教一心、全教一家と言われるけれども、それがなかなか実が上がらん。けれども、私はそんな事は問題じゃない。もう、私はもう本当に思うのに、まあ、言うならね、人が助かるほどしの宗教なら同じ所じゃなくたって良いじゃないかと、私は思うんです。ね。その全世界のね、宗教人が、今こそと立ち上がってです、世界の難儀に取り組まなければならないという、時はもうまたとないのじゃないだろうかという風に、私はこの、何かね、寝とってもその事を考えとったら、胸がわくわくして来るような気がするんです。ね。そして、神様の願いは、本当にですよ、ね、一人でも良いから多くの氏子がね、言うならば生き残れる人々とでも申しましょうかね。言うならば、本当に助かってくれる人間を求めておられる時はないように思うんです。だからこそ、今神様がです、なら、合楽の示現活動に神様が参画なさっておられるというような感じがするんですよね。実際は、神様のそういう思い立ち。神様のそういうようなおかげ。これは、私がちょうど二ヶ月前に、ここでは、私は、当時はそれこそ桂先生がなさったと聞きゃあ、または安武先生がなさったという話を聞いちゃ、また久留米の石橋先生辺りがああいう修行をなさってからおかげ頂かっしゃったげなと話を聞き伝えておる修行を、もう本当に自分も一生懸命でありました時代がありました。ね、けれども、今から考えて見るとね、そういう修行はたいてい、役に立っていなかったち。そして、私がどうにでも出けなくてです、もう神様、私の上に起きて来る問題をです、私はもう文句を言わずに、苦い物であろうが、臭い物であろうが頂きます修行をはじめてから、私が助かり出した、人が助かり出したという感じがあります。ね、ですから、こういうところをね、私は25年間のそういう私の信心の歩みというようなものを聞いて頂きたいと思うんですけれども。それでも、やはり親先生がなさったと言やあ、皆が、信者がね、非常に修行精神が旺盛な人が多いですから。もう、水かかるような事は、合楽ではですね、あの寒中に水(     )ごたるのとは、もう修行の内に入らんくらいに、言うならやりました。皆ここで修行しよりゃ、もう、とにかく15日、20日ぐらいの、もう例えば(徹達に?)修行さするなら、もう1ヶ月でん食べんち言うのです、修行は。だから、私はその事は止めさせましたけれどもね。あの、やっぱ有り難いとです、しとる間は。ところが、今度はしてしもうたというと、何か(                 )しますから、何にもならんです、それなら。ですから、もう私が、もうこれだけはです、もうこの自力的なね、いわゆる荒行という事は、もう絶対。だから、そればってん、水あびぐらいは良かでっしょうもんち言うたんなら、いや、私は破門するって言うんです。もう、この頃、この急に、あの、それこそ自力的なね、信心から、他力的な信心。言うならば、荒行の信心から、自立の信心。そしたらね、もう神様が今までは下から上へ水を流すように難しかった。もう、(            )修行してからお願いするとじゃからね。(やれんもんでん、やらにゃち思うた?)。ね。けれども、今度は反対にね、今度はもう神様のお働きをそのままに受けて頂いて渡すというような生き方になったから、もうそれこそ、高い所から低いところへ水が流れるようにスムーズになっておる心。二ヶ月ばっかりの合楽の状態です。ね。ですから、どうぞあの、私に出ける、あのお答えならどんな御答えでもさせて頂きます。どんな事でもご質問を頂いて、また明日もあるとですから、その、とにかく何をかを、やはり、あの、頂いて帰って頂きたい。ね。もう、私がもう、これ、せっかちでお話が、その早口ですから、皆さんが、しかも筑後弁丸だから、後からよく分からんところは通訳はありますから、どうぞ。はっは。有り難うございました。